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有限な時間の果てに

平凡なイマを積み重ねてかがやくミライへ

『コミュニケーション断念のすすめ』を読みました。

読書記録

コミュニケーション断念のすすめ

コミュニケーション断念のすすめ

コミュニケーション断念のすすめ


どんな本?

臨床心理士として長年カウンセリングをしてきた著者が、ネットで連載していたエッセイを本にまとめたものです。


話題の中心は、いわゆるコミュニケーションについてで、日本を取り巻く風潮や雰囲気に疑問を投げかけています。それだけにとどまらず、「コミュニケーションを断念しよう」と一見奇妙に見える提案もされています。


また、AKBや韓流などといった最近の流行についても、独特の視点からその受けている構造について考察しています。


コミュニケーション過剰!?

日本ではなにかというと「コミュニケーション不足」が叫ばれるが、むしろコミュニケーションが過剰な国なのではないか。交わすことばは少なかろうが、沈黙に満ちていようが、瞬時に交わされる非言語的なコミュニケーションは驚くほど過剰なのだ。


相手に自分の意図が十分伝わっていなかったという経験をするたびに、コミュニケーションの難しさやその不足を感じます。しかし、著者は、むしろ日本社会ではコミュニケーションが過剰なのではないかと考えています。


過剰な非言語的コミュニケーション

それは、非言語的なコミュニケーションという意味で「しすぎ」なのです。この非言語的とは、言葉による意思伝達手段以外のあらゆるコミュニケーションを指します。例えば、身振り手振りに目配せや相手との距離感をはかるがそれに当たります。


そして、空気を読むというのが、最たる例です。


時々刻々と状況を読み取り、次にすべき行動を探っていきます。とくに集団における発言ひとつとっても、「発言者はどういう意図で話しているのか」、「そして、自分は何を言うべきか」、「タイミングはいつか」などなど、いくつもの点で考えをめぐらしています。


コミュニケーションの場において、私たちは瞬時に様々な情報を受け取りすぎ、それに意味を与えすぎてしまうのかもしれません。このような状況では、たくさんのエネルギーを要すると著者は指摘しています。


コミュニケーションの断念!?

私はパラドキシカルな結論に達した。「コミュニケーション復活の第一歩は、コミュニケーションの断念である」と。


コミュニケーションの過剰な日本社会へ、著者は「コミュニケーションの断念」を提案しています。


私を主語にして発言する

では、「コミュニケーションの断念」の一端を垣間見ることとしましょう。

周囲がどう思うか、相手がどう受け止めるか、相手が同意してくれるかどうか。これらを気にせずに、まず自分の感じたこと、考えたことを口に出してみること。ここからしか何も始まらない。


「私は~だと思います。」「私は~と考えました。」というように言葉に発して、さらに、私を主語にして意見を述べます。そうすることで、これまでは「空気」を相手にしていたのに対し、私との対比として目の前に「生身の人間」や「他者」が現れはじめます。


この私を主語にした発言によって、適切なコミュニケーションを取り戻すことができるのです。それは、我を通すといったことではなく、他者との明確な意思疎通を行うことでむしろ相手を尊重することにつながります。


これは非言語的なコミュニケーションから言語的なコミュニケーションへと重心を移そうという素直な帰結だと感じました。


以上、『コミュニケーション断念のすすめ』の読書記録でした。いま必要なコミュニケーションとは何か、見えてくるかもしれません。


それでは、またお会いしましょう。


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